ビリギャル 坪田先生は,いるか?

ようこそ「Studio die Sonne」へ

快適空間コンサルタントの山内陽子です.

 

昨日,映画観てきました!

 

原著は(スミマセン)書店斜め立ち読み程度でしたが,面白かったです.でも,

映画化ということに関しては,観たい気持ちが32%,美しい話が台無しになりそうかも,なんて思う気持ちが58%,邦画はあんまり好きじゃないのよね,が10%という感じで経過を見ていました.

 

みんなどこかで,さやかちゃんみたいな「奇跡」に憧れてしまいますよね.あったらいいな,とか,ほんとにあるの?とか,その程度でも期待しないではいられない,というか.

でも,奇跡なんかじゃないですものね.さやかちゃん,「死ぬ気で頑張った」んだもの.

 

 ちょうど,GW突入と同時に観に行ったという友人からも,有村架純ちゃんがかわいかったし,ストーリー分かっていても楽しめるので「ぜひ」との良い感想を頂いて,家族を誘って行きました.

娘には「これを観て,共感して勉強をしっかりせい!」というつもりは全くないからねー,と念を押して(笑).

 

私も,誰かにお薦めしたいと思います.

きっと感動体験を共有できるんじゃないかと思います.

 

さやかちゃんにとっては,坪田先生との出会いが何より大きなターニングポイントとなりましたが,

さやかちゃんには,そういう出会いを引き寄せる力があったのだと思います.

すばらしいお友達もいましたよね.小さい頃は友人関係で苦労していたさやかちゃんだけど,

真の友達に巡り会っている点も心に響きました.

彼女のもつ素直な気持ちがそういう良縁や,難関校合格でさえも,引き寄せるのでしょう.

 

娘は娘なりに感動したらしく,ボロボロに泣いて,観ながら泣きじゃくっていたほど.

 

ところで,坪田先生のような方との出会い,あるかないかで人生180°かわりますね.

みなさんは,こういう出会い,ありましたか?

 

私は同じケースではないけれど,似たような魔法を使える先生に出会って

人生が変わった経験を持っています.

 

小さい頃,走るのがとても遅かったんです.短距離走.

これって今思えば,もともとのセンスが関係ないとは決して言えない種目だと思います.

ある程度以上ですと,訓練と練習で向上しますが,超遅い人が短距離走で1位をとるのは

困難です・・・短距離走,

 

私の父は,短距離走が得意です.

小学校時代から常に1位とか2位とかで,大会で副賞にもらったノートや鉛筆が絶えずあり,

文房具を買った記憶がないという強者です.

一方,私の母は,運動が苦手だし大嫌い!

この大嫌いが,実は,私の人生に影響を及ぼしていました.

 

母は,短距離走でビリをとった私にこう言いました.

「しかたないわよ.私の子だもん.速いわけ,ないわ.」

ビリから二番目をとった時にもこういいました.

「しかたないわよ.お父さんに似なかったのね.私の子だもの.貴女も運動できないわ」

 

短距離走が遅い,は,いつしか,走るのが遅い,に変わり,

走るのが遅い,は,いつしか運動が出来ない,に変わり,

運動が出来ない,は,いつしか,運動が出来るわけがない,に変わっていきました.

 

「そっか.そりゃあそうだよね.だってワタシ,お母さんの娘だもん.」

 

体育の成績は,いつも5段階なら2,10段階なら3とか4(!!!)でした.

「でも,そりゃあ,そうだよね.シカタナイ」

 

中学に上がってある年,体育は0先生という女性の先生になりました.

モードっぽい見た目でちょっと怖そう.ある運動部顧問で厳しいと評判.

「げ.最悪.」と,思いました.

 

私は,その年も,いつも通りに体育はさっぱり出来ず,おまけにこの頃はひどく嫌い

になっていました.体育と聞いた瞬間に隠れたくなるほど嫌いに.

 

けれども,ひとついつも通りと違ったのは,O先生は出来ないことを怒らなかったのです.

どう見ても,他の人よりどうしようもない私に「出来ない」という言葉を

決して使わなかったのです.それどころか逆に「出来るから」「後少しまで出来てるから」

「次出来るから」「さっきより(ここが)良くなったから!」「よし,行けっ!」という

ことだけを繰り返し,繰り返し・・・

 

そしてあるとき,とうとうびっくりすることが起きたんです.

平均台とかマットを使った体操の授業の時でした.

ほとんど誰も出来ない技を,私が出来てしまったんです!

 

「ほら,出来た!言ったじゃない.出来るって.自分で出来ないって決めない!!

あなたは体育出来るのよ.」

 

O先生の魔法のことば.

 

信じられないことですが,この一瞬を堺に,何の種目でもそこそこ出来るようになりました.

まさに文字通り,この日を堺に,です.

 

その後の私の体育の成績ですが,

1学期「7」

←これは,春にある短距離走を含む体力テストが災いしていて,いかんともし難い(笑).

2学期「10」

3学期「10」

 

そしてこの後の人生における,私の体育の成績は,「10」がずっと続いていきました.この成績表をみて,一体誰が「体育苦手なヒト」って思うでしょうか?

 

「私は体育が出来ない」という呪縛から解放してくれたO先生.

 

「キミは,〇〇が出来ない」なんて,未来ある子どもには絶対言ってはいけない言葉なのですね.

 

ましてや「クズ」なんて,口が裂けても言っちゃダメ.

 

未来ある子どもを,ポジティブに励まして,120%の力を解き放つことは,

その子のためだけじゃない.いつかそういう子が創るすばらしい未来に一緒に生きる自分の

ためでもあるのだもの.

 

日本中,世界中の子供たちに,その子にあった坪田先生やO先生みたいな出会いがありますように.