圏央道

旦那の実家と私の実家にお墓参りのために強行日帰りドライブ(?)をしました。

明け方出て日帰り。

 

帰り道には圏央道を使いました。

 

この圏央道、出来上がるまでにずいぶんと反対派と賛成派がぶつかりあって、いったいどうなるのかしらと思っていましたが、行政がいちど意思表示をしたものって、たいていの場合「出来る」のですね。

 

私が反対だったか、賛成だったか、というと正直よくわかりません。

 

反対派の意見は「自然保護」がメインだったと思います。とくに高尾山のあたりの自然が破壊されてしまうから、というものであったと思います。もちろん、自然が破壊されてしまうのは反対です。

 

基本的には、自然は本当に偉大ですから、工事をしてもまったく大丈夫だとは思いません。

必ずや何かしらの影響があると思います。直接的でなくとも。今すぐでなくとも。

私たち人間が自然にあらがえないのだということは認識して謙虚であらねばならぬ、ということだけは確かです。

 

ただ、「この工事によって自然が破壊されるのだ」という報告も、「この工事のせいでは影響はあまりない」という報告も両方ネットなどで読みましたが、「わからない」というのが私の結論です。

きっとどちらも自分側の主張が優位だという報告書を持っていたと思います。

どちらも嘘は言っていないと思います。

でも、それを読んで私が判断するのは「人の意見の受け売りでしかない」ですし、

単にどちらの印象がより強かったか、だけだと思います。

これらの報告書の真偽を判断するほど私には専門的な知識がありません。

 

「便利」というものの合理性を、何か別の条件と天秤にかけるのはいつも疑問に感じています。

天秤にかけた結果をどう判断するかは、個人差があるため「解決」にはならないからです。

「正解」はないと思います。


それでも、この圏央道開通の件は、便利か否かを天秤にかけた結果ですからね。

便利は私たちにすぐに、いともたやすく「良かった♪」「得した♪」などという

一見ポジティブな印象をもたらしますよね。

だけどその裏でつぶされてしまった大切な何かが存在することに目を向けていかないと。

 

そんなことを行きも帰りも旦那としゃべりながら、

それでも帰りには私たちは、圏央道を使い、

その便利を享受して、都心の大渋滞に遭うこともなく、

さっさと東北に帰ってきたわけです。

(なんと、この日、私たちの帰るタイミングで首都高環状線で交通事故があり、

この事故の影響で渋滞が時間を追うごとに広がっていく様がVICS情報によって

ナビの画面に映し出されていたのです)

 

反対意見と賛成意見が在るとき。

(この件に限らず、ですが)どちらも「その意見のどこを見るか」が問題です。

 

「勝った・負けた」「やりこめた・やりこめられた」は考えたくない。

どちらになっても、いつも、反対側の主張をちょっとだけ聞く耳を持っていたい。

シャットダウンしたら、相手を全否定することになるから、1%でも理解できる部分を探したいと

いつも思っています、たとえ結果的に「NO」でも、です。