片付けられない理由(1)

いきなりですが、

私にはウィークポイントがあります。

それは、活字。

 

これを克服したくて整理収納アドバイザーの

勉強を始めた、と言っても過言ではありません。

 

・・・かの東日本大震災当時、我が家の二階には

読書スペースがありました。

 

ここは、大型書庫が並び、お茶を置ける小さなテーブルと、

座り心地の良い椅子が置いてありました.

私が、家の中で特に気に入っていたスペースでした。

 

けれども、震度5強の揺れの前には耐えきれず、

あの大好きだったスペースは、私をぞっとさせることになりました。

 

南向きに並んでいたことが災いして、ガンガン揺れ、

数百冊の本が飛び散り、出来た山が階段への通路を完全に塞いでいたのです。

もし、当時、家族の誰かが、このスペースより奥にいたとしたら、

完全に逃げ遅れたでしょう。

関東で折に触れて地震教育を受けて育った自負、書庫の安全には配慮をしていたつもりでした。

書庫が移動しない様には仕掛けてあったのに、中の本が飛び出すことへの配慮が足りませんでした。

 

「適量・定量管理」という考え方からすると、完全にオーバーです。

片付けに関する本や雑誌(←本を片付けるために、本を買っている矛盾)を何冊読んでも

同じ事が書いてあります。だから、震災前から「もち過ぎ」だと薄々感じてはいました。

 

本には、書いてあります。

 

「その本、本当に読むのですか?」と。

 

だけど、本当に読むんです。何度も何度も読むんです。

一回読めば十分な内容の物や、あまり相性が良くなかった内容のもの、

私自身が成長して共感出来なくなったものなどは、もちろん

すぐに手放します。ブックオフのお世話になってます。

それでも、常に数百冊か・・千冊近くが私と共生していました。

 

突然思い出す一節が心に寄り添って、また読み返す。

暮らしの中にポッと感じた事があると「あの作品の中に言い得た表現があったな」とか。

旅行先が懐かしくなって現地の料理を再現してみるとか。

このトピックについて、かつて○○さんが解説してたな、とか。

 

捨てる片付けが流行している今、

こうやって執着してしまう物との付き合い方を考えなければいけないと

思っていた矢先の震災。

頭でわかっていても出来ない私を揺り動かすためなのかと思うほど

五感の全てに訴えかけられました。